須佐神社の御遷宮

ごあいさつ

須佐神社(須佐大宮)は、須佐能袁命(須佐之男命)を主祭神として稲田比売命・足摩槌命・手摩槌命を併せて奉斎し、出雲国風土記や延喜式神名帳にもその名がみえる古社であります。

出雲の国風土記によれば、須佐能袁命が「この国は小さい国ではあるがよい処なので、自分の名は木石ではなく土地につける」と仰られ、御自ら御魂を鎮め置いた霊蹟であり、その御由緒の深遠な事は他に類を見ない須佐能袁命の御本社とも言えます。故に古くから朝廷始め武将の崇敬は言うに及ばず世人の崇敬も篤く、延喜式神名帳に記載されており、松平松江藩時代には一社一例国守護之社として崇拝され、明治32(1899)年に国幣小社に列せられ、戦後は別表神社として今日に至っております。

大社造の御本殿は、元応2(1320)年頃には方四間(7m余)の規模であったと伝えられております(社蔵文書)が、現在の御本殿は天文23(1554)年尼子晴久の新造によるもので方二間(4m余)・高七間(12m余)の規模で、昭和41(1966)年3月には島根県指定文化財として指定されております。尼子新造以来、四百六十余年の間、凡そ三十年に一度を目途に修繕を行ってきております。しかしながら、前回平成9(1997)年の御遷宮以来、屋根の腐朽甚だしく、島根県や出雲市の各文化財課より修復時期であるとの意見をいただいております。

伝統と文化を守り、国民の一人一人が深い信仰心を持つことは、今の日本人にとっての重要な課題であることに思いを致すとき、心の拠り所である須佐神社の御遷宮の完遂を願うものですが、何分にも僅少な氏子の経済負担のみでは如何とも致し難く、皆様方より志を仰がんとする次第であります。

現下大変厳しい経済状況にありますが右事情を御賢察の上、御崇敬をいただいている皆様方には、是非ともこの趣旨に御賛同いただき、千年の恩頼に報いられんことをお願い申し上げます。

この度の御遷宮で更なる御神徳を授かられ、皆様が益々御繁栄されますことを須佐能袁命の御魂鎮めの郷より御祈念申し上げます。

令和四年十二月吉日

須佐神社宮司(第七十九代須佐国造)
須佐建央
須佐神社遷宮委員会委員長
加藤哲夫
須佐神社総代会会長
板垣成二